最近、ちらほら耳にするようになった“感謝経済”という言葉。ところが、その実体を正しく理解している人はそれほど多くはなさそうです。感謝経済概念の“真の”創始者である千葉恵介さんを訪問。北鎌倉にある秘密基地にて、感謝経済の本質についてうかがいます。

――おじゃまいたします。なんだかものすごく落ち着く空間ですね。

この家には、ギリシャ語で“万物の根源”を意味するARCHE(アルケー)という名前をつけました。僕は経営学部に所属する大学3年生で、今年の前期に哲学の授業を履修していたので、教授の話からヒントを得ました。ARCHEのサイズは千利休が作った茶室をイメージしていて、生活するには何の不便もないし、物事を考えるには最適な空間です。

――しかも、レコードプレイヤー(笑)。ターンテーブルにサイモン&ガーファンクルっていうのがまたシブいですね(笑)。

このレコードは自分の父親のコレクションなんですよ(笑)。レコードって劣化していくじゃないですか。そこがいいなって思っていて。デジタルの時代ってすべてが普遍的で同じ製品を並べて単一的な価値を提供していますが、でも本当はリアルであることが重要だって思うんですよね。仏教用語でいうところの“諸行無常”っていうのがリアルなんじゃないかと。
同じ川を見ていても、流れてくる水は全部違っていて、自然界においてはまったく同じものって存在しないはずなのに、デジタルによって再現されることでそれが可能となり、当たり前の世界になってしまった。それってコンビニでも同じですよね。大量生産の商品が日本中のどこのお店でも買える。単一的な価値を評価してきたのですね。

それに対して、レコードプレイヤー自体は同じ規格で作っていたものだとしても、おそらく10年前に聞いていた音とは違うものが流れているでしょう。明日は、また違う音が流れるに違いないという世界観がいいなって思うのです。

こういった“変わりゆくリアルを体感する場所”として、このARCHE(アルケー)を作っています。例えば、この本棚もそう。「Graffiti Books Arche」という名の貸本屋にしているのですが、お金が介在しているわけではなく、ここに並ぶ本は、すべて誰かが持ってきてくれたものです。

開いてみるとわかるのですが、本文に線が引いてあったり、感想が書いてあったりします。この本を持って行った人もまた感想を書き足したりして、どんどん変わりゆくわけですね。同じ本でも、ひとつひとつ全部違う顔を持っている。そこに価値が生まれると考えています。

――なぜ、変わりゆくものに価値があるとお考えなのですか。

そこに時間軸が入ってくることで三次元的な価値が生まれます。今までは二次元的、下手したら一元的で、価値が点でしかなかった。そこに、どんな人に触れられたのか?とか、経時変化といった要素が加わることで、立体的なストーリーが生まれます。

現在の日本はどちらかというと古いものに価値を置かない、そんな風潮にありますよね。おそらく、新しい社会を作ろうと考えた明治維新以降にそういった価値観が生まれたのかもしれません。やがて高度経済成長の時代になって大量生産、大量消費の経済概念が浸透し、壊れたらすぐに新しいものを買えばいい、同じものが欲しい、同じブランドのものが欲しいという価値観が生まれていきました。

建物もそうですよね。新築物件に価値があると刷り込まれて、スクラップ&ビルドを繰り返して、すぐに街の様相が変わってしまいます。ヨーロッパの国々では真逆で、古い建物に価値をおいている。ですから、新しいものに価値を感じる日本ってちょっと特殊な感じがします。


――確かに。経年変化が面白いって発想は、個性的なモノを愛するという、ヨーロッパ人特有のライフスタイルに通じるところがありますよね。日本人って、同じモノを持っていないと安心しない。そういった観点からすると、この家って、めちゃくちゃ個性的で唯一無二。千葉さんがご自身で作られたのですよね?

そうなんですよ。自分の家を自分で作るのって、生命体として当たり前というか、蟻や蜂、カラスだって自分で巣を作りますよね。なのに、今の人類は自分で家づくりをしない。
僕らが提唱している「感謝経済」も同じで、蟻も蜂もお互いに助け合いながら、いわゆる相互扶助の関係性の中で生きていますよね。でも人類は交換経済の中で物と物であったり、お金と物を交換して取引しないと生きていけないような仕組みを作ってしまいました。
つまりそこに相互扶助はない。田舎ではまだしも、残念ながら東京にはそんな精神はほとんど残っていないですね。感謝の気持ちやありがとうという言葉が潤滑油としてまわることで相互扶助を促進させるのが感謝経済の基本的な概念です。

――その考えはどこから生まれたのですか。

特別なストーリーがあるわけではありません。僕のこれまでのあらゆる経験の中で育まれ、カタチになっていきました。その一番の根源は旅ですかね。和服を着てヨーロッパ22か国を回ったことがあったのですが、そのときに、世界中の人々が僕を温かく受け入れ、サポートしてくれました。そこで世界に対する感謝の思いがはぐくまれました。

さらに昨年、帰国してからの一年間、特定の住居を持たずに、友人の家やオフィスを転々と寝泊まりしながらデジタルノマドのような生活を送っていました。その中でたくさんの人から多大なるご恩とご支援をいただき、そういった経験を通じ、日本、世界へと地球規模で恩返しができないものか、感謝の気持ちをお金ではないカタチにしてお返しができないものかと考えるようになりました。

周囲の仲間とブレストしていく中で、「今の資本主義って崩れているよね」とか、「お金の在り方っておかしいよね」という話が出てきて、やがてそこから「人間の根源って感謝なんじゃない?」「お金に頼らない、感謝の循環だけで成立するコミュニティを作りたいね」という話に帰結していきました。

――現在のお金の在り方がおかしい?

現在、日本の実体経済の何倍ものキャッシュが流通していて、いわばキャッシュバブルのような状態になっています。そのキャッシュを実体経済に持ち込んでいったらどうなるか。地球資源が食いつぶされた挙句に世界が破綻してしまう可能性があります。限界が来ているし、それを市民も気づき始めているにもかかわらず、お金に代わるものがないから使っている。

お金ってそもそも何?と考えると、紙切れに価値があるわけでなく、いわば共同幻想のようなもので、だったらもっと根源的に誰もが持っている“感謝の気持ち”を実体化して新しい経済を構築していけば良いのではないかと、まあ再発掘した感覚ですね。

良く例えられるのがアメリカの心理学者マズローが提唱する5段階の欲求です。「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「承認欲求」という低次の欲求は、これまでの資本主義社会の在り方で満たすことができました。ところが高次の欲求である「自己実現の欲求」は満たすことはできません。

さらに、最近は「超越的な自己実現」という第6の欲求があるといわれるようになってきました。誰かに認められるとか、自己実現できたとか、お金がもらえたとか、そういった次元を超えた至高体験を満たすもの、そこに僕たちは感謝経済を置いています。

先進国の若者たちはもう気づき始めているのですね。だからSNSをやっていても疲れるだけで、承認されてもまったくうれしくない。自殺する若者も増えています。熱中するものがない。なぜならそれは、従来の資本主義社会の中でしか熱中するものの定義がなかったから。モノはいらないし、高価な食事をしたいわけではない。資本主義の仕組みでは満たしきれない欲求に対して僕たちはチャレンジしています。(後編へ続く)