「シェアリング・エコノミー」と「ライフスタイル」のこれから
「持続可能な経済=シェアリング・エコノミー」の最新事情を提唱し、話題となった電子書籍『シェア』(レイチェル・ボッツマン/ルー・ロジャース著)の発売が2010年のこと。あれから5年がたち、「シェア」という概念、そして各種サービスは少しずつ、そして確実に日本においても浸透し始めている。
その一方で、シェアサービスについてまだまだ理解が得られていないこと、社会の中で「共有」できていない部分も少なくない。シェアサービスによってライフスタイルはどう変わるのか? そもそも「シェア」という行動は何なのか?
“ほしい未来”をつくるためのヒントを共有するウェブマガジン「greenz.jp」編集長、兼松佳宏(かねまつ・よしひろ)氏に、「シェアサービス」の現状、課題、これからについて語ってもらった。
この5年で、日本のシェアサービスはリアルになった
ウェブマガジン「greenz.jp」を創刊したのが2006年。おかげ様で来年、10周年を迎えます。【ほしい未来”をつくるためのヒントを共有する】というコンセプトで、世の中の面白い取り組みや人、サービス、アイデアを紹介し続けてきました。
“共感”を生むグッドアイデアこそ、人を前向きにし、社会を動かす力がある。そんな新たな価値を創出する画期的な仕組みをつくる「ソーシャルデザイナー」たちを応援しよう……そんな考えが根幹にはありました。といっても、いま振り返ると、最初の頃に取りあげていたのは海外の事例ばかり。日本国内には、取りあげるべき事例がほとんどありませんでした。
それが変わり始めたのが2009年頃。金融危機(リーマン・ショック)をきっかけに、日本の中でもさまざまなパラダイムシフトが起こり始めます。街中でハイタッチをして見知らぬ人をつなぐ「ハイタッチ隊」のように、すごく小さなプロジェクトだけどなんか面白い、といった日本の事例に関する記事が、2009年から2010年くらいかけて一気に増え始めたんです。
そして2011年以降、震災をきっかけにして仕事やライフスタイルを見直す人が増え、さらに企業の中でも「何かを変えていこう」という動きが増えていきます。結果的に、この5年間の間で、「greenz.jp」がずっと提唱してきた「こういう時代が来るよね」という世の中に近づいた印象があります。そのことで「greenz.jp」で取りあげる記事がさらに増え、それがさらに学びとなってソーシャルデザインを始める人も増えていきました。
「シェア」という”手段”が、”目的”になってはいないか?
ここでようやく、本題である「シェア」の話になります。考えてみると、日本における「シェア」も、「greenz.jp」の歩みとパラレルのようだな、と思うんです。
日本ではまだ一般的ではなかった海外のシェアサービスについて掘り下げた書籍『シェア』が発売されたのが2010年。それからの5年間で、日本におけるシェアサービス事情も大きく変貌しました。事例は知っていてもリアリティのなかったものが、サービスの拡がりとともに「シェア」を体験した人たちが増えたことで、現実的な選択肢になった。やっぱり、体験しないと分からない景色というものがあるんだと思います。
ただ、ここで気をつけなきゃいけないのは、「ソーシャルデザイン」にしても「シェア」にしても、コンセプトが明快で便利な言葉であるが故に、キーワード先行になってしまうこと。
たとえば僕自身のもとにも、「ソーシャルデザインで社会的課題を解決しないといけないんですよね!」と言ってくる人が少なからずいます。でも、本来は、自分がありたい姿、人生の主人公になるためのひとつの“手段”が「ソーシャルデザイン」であり、「シェアサービス」だと思うんです。
イチロー選手が野球で、辻井伸行さんがピアノで自分を表現するように、「ソーシャルデザイン」や「シェアサービス」も自分を表現するひとつの手段でしかないはず。なのに、いつの間にか「ソーシャルデザインしなきゃ」「シェアしなきゃ」と、手段が目的になってしまっているんですね。
だからこそ、「なんのためにシェアするのか」「シェアのあるべき姿とは」という部分を、実際のシェアサービスの事例も交えながら4つの視点で改めて考えてみたいと思います。
【1】「歓待(かんたい)」としてのシェア
僕が最近読んで影響されたのが、フランスの哲学者ピエール・レヴィが書いた『ポストメディア人類学に向けて―集合的知性』という本です。本格的なインターネット時代が到来する前の1994年に、サイバースペースがどのように社会に深い影響を与えるのかについて描いたものなのですが、その内容があまりに的確で、“予言の書”ともいわれています。
その日本版が出たのが今年の3月で、やっと日本語で読めるようになったんですが、まさに今の日本に当てはまることばかり。むしろ、これからコンセプトにすべき内容もたくさん出てきます。今回、シェアについて考えるうえでも、参考になる点が多いなと感じました。そして、この本の中で出てきたキーワードが【歓待】という言葉なんです。
ピエール・レヴィがインターネット時代に何を期待していたかというと、「社会的な絆」の再構築です。そして、そのための基本的な作法が「歓待」だと指摘しています。「歓待」とは「もてなす」ということですが、さらに踏み込んで、「旅をして他者と出会う可能性を普遍的に維持するものである」としています。
インターネットの登場によって、リアルな出会いの数が圧倒的に増えましたし、トレーサビリティのように、さまざまな関係性が可視化され、透明化しつつあります。そうすると、自分一人で生きているわけではない、ということに、改めて気づかされますよね。その中で、自分が旅人としてホストされる(提供される)だけでなく、ホストする(何かを提供する)場面が増えている。
ホストとして他者と出会い、もてなすことで、「自分が貢献できること」を棚卸しすることができます。自分自身の価値を相対的に知ることができれば、より“大きな自分”を再発見できるかもしれないし、その自信をもとに小さな挑戦を始める人もいるかもしれない。つまり、周りのヒトやコトを迎え入れること自体が、新しい何かに気づく機会となるのです。
「Share! Share! Share」の掲載記事で、「スペースマーケット」というシェアサービスを利用する人のインタビューがあります。(※『「スペースマーケット」は、人と場所との出会いによって、夢をかなえるサービスなのかもしれない。』)
その中で、スペースを貸す側であるカフェのオーナーの方が、「店の休業日、つまり使っていない時間をレンタルスペースとして提供できた。その結果、予定外の収入を得ただけでなく、そのお金でアルバイトを雇えるようになり、お店の営業時間を増やすことができた」という内容を語っています。
これ、すごくいい話だと思うんです。自分ひとりでは気づくことができない価値を、他者のおかげで気づくことができた。その結果、自分にもいいフィードバックが生まれ、さらにカフェを成長させることができる……これこそ、シェアの本質である「歓待」がもたらした、素敵なエピソードだと思います。
【2】「循環」としてのシェア
ふたつ目に取りあげたいのが【循環】という考え方です。あるいは、「恩送り」といってもいいかもしれません。価値を単に交換するのではなく、社会の中で巡らせていくということです。
以前、「greenz.jp」の記事で「カルマキッチン」という”恩送り”を体験できるレストランを取りあげたことがあります。(※『「あなたのお食事は、前に来たお客様によって支払われています」”恩送り”を体験できる優しいレストラン「カルマキッチン」』)
「カルマキッチン」のコンセプトは、「あなたのお食事は、前に来たお客様によって支払われています」というもの。自分がバトン受け取って次の人に送っていく。直接の関係性はないかもしれないけど、広く見たら循環して円で繋がっているわけです。
「ここでの食事は、誰かからの贈り物。だから返す必要はありません。その代わり、あなたも次に来る人の分を贈ることができるのです」。
これって、ものすごく実験的ですよね。恩を受け取り、どう巡らせていくのか。本当にお金を払わないでいいのか。払うなら、いくらにしようか。カルマキッチンの体験は、ふだん向き合ったことのない根源的な問いと向き合う瞬間なんです。
この「すでに受け取っている」という感覚こそ、シェアの大前提だと思うんです。逆に言えば、満たされていないと思うときは無理に送らなくていい。ただ、見方を変えさえすれば満たされていることに気づくこともあるんですよね。
「ないもの」を求めるのではなく、「あるもの」に目を向ける。その溢れた分なら、ペイ・フォワードで誰かに送ることができるはずです。「シェア」において、この視点の転換はとても大事だと思います。
「恩送り」についてはもうひとつ、「ウェル洋光台」の事例も紹介させてください。(※『みんなで持ち寄って、暮らす。アーバンパーマカルチャー最前線、“ギフト”で成り立つシェアハウス「ウェル洋光台」』)
「ウェル洋光台」は、神奈川県にあるシェアハウスです。ここでは、「行為を贈る」「食べ物を贈る」といった感じで、住人同士が“贈り合い”を日々行っています。いわば”未来の暮らしの実験場”です。
このシェアハウスのオーナー代行、戸谷浩隆さんは、「人は本来、贈ることが大好きです」と語っています。でも、ほとんどの仕事は贈り物というよりも対価や見返りを求めるものになっていて、それが暮らしにまで影響してしまうと、「どうしてやらないの」という風に窮屈になってしまう。
だからこそ、戸谷さんは「暮らしはもっと、贈り合いたいという気持ちだけで成り立たせていいんじゃないの」と言うんです。
例えば、ルールを決めて「掃除をしなきゃいけない」ではなく、すごく汚れたら掃除したくなる人が自然と出てくる。その貢献によって居場所ができるだのとすれば、汚している人にも価値が出てくる(笑)
もちろんルールが必要な場合もありますが、その範囲を等価交換だけではなくコミュニティ内の、あるいは地球レベルでの循環に広げてみたとき、小さな行為ひとつひとつが違った輝きを帯びるのではないかと思っています。
(後編につづく)
次回の後編では、「シェアサービス」を考える上で重要なコンセプト、【1】「歓待」としてのシェア 【2】「循環」としてのシェア、に続く残りの2つの考え方ついて掘り下げます。
“ほしい未来”をつくるためのヒントを共有するウェブマガジン「greenz.jp」
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